ストール作り&貧困とオヤ
タオルの縁につけるオヤをストールにつけてみました。
お客さまをもてなすタオルはチェイズ(花嫁道具)の中でもトルコでは重要ですよね。
トルコでもチェイズの機械化が進んでいますが、機械刺繍でも、チェイズはチェイズと、最近は機械刺繍、機械編みを選択する人が多いこの頃。
この消費者動向は日本もトルコも同じで、最近は手編みレースなんていってもその価値がわかってもらえなかったりします(トルコはもともとですが)。
日本でも、アクセサリーとしてのオヤは人気が高いですけど、「本当の伝統」のチェイズとしてのオヤは、はたして受け入れてもらえるのだろうか・・・。または、出来の悪いオヤは受け入れてもらえるのだろうか?
今日もテレビでシリア難民のことが放映されていましたが、貧しければ貧しいほど、技術もないし、日本人が買うような商品なんて作れないんですよね。
トルコでも高い品質でオヤが有名な地域の方々は、まあトルコの中では中流という感じです。
実は私がオヤをはじめてしっかりと認識したのは10数年前、アンカラのゲジェコンドゥ(一夜建ての家の意、違法建築の地域)でした。仕事でよくアンカラ城に行っていたので、そのたびに「明日のパン代がない」おばちゃんたちからなにかしら買っていたのでした(しかし、一人のおばちゃんから買うと全員から買わないとならない)。
日本ではオヤというときれいなもの、特に花のアクセサリーしか流通していないですが、そのころのオヤは縁取り用のものが段ボールにぐるぐる巻きにされたタイプでした。
トルコは今でこそ識字率も向上し、データの上では新興国ですが、格差が非常に大きく、上記のおばちゃんたちは字も読めませんでした。統計データでは見えないこともたくさんあります。
私がオヤを論文で取り上げたのは、トルコ国内あるいは日本で購入されれば彼女たちの生計向上につながると思ってのことでしたが、最近の動向をみると、難しいような気もします。